ひとさじの砂糖とうたかたの日々の泡

一匙の砂糖に似たささやかな幸せや、 取るに足らない日々の泡の記録。

『FOUJITA』についての感想徒然。

下書きばかり投稿していて、全くブログを更新していない事に気付きました。
ご無沙汰しています、鹿屋です。

YEN TOWN BANDのLiveに行ったり、バリに旅行に行ったり、
来年の手帳を決定したり、眼鏡について想いを馳せたり、
ホロスコープのワークショップに行ったり、映画に行ったりしてきました。

その何れについても下書きで止まっているという中途半端さ。
流石、私。
取り敢えず今日は今日の勢いで、見てきた映画についての記事です。

公開したら観に行こう!と思いながら、
公開された事に先日気付いた『FOUJITA』を本日見てきました。

foujita.info

画家、藤田嗣治の生涯の一部を切り取った映像作品。
年代的には凡そ1920〜1945年の間の出来事です。
何とも感想のまとめにくい映画だったので、以下箇条書きに。

・パリが舞台の前半部分と、日本が舞台の後半部分で全く印象が違う。
 勿論時代背景によるものも大きいけれど、『陽と陰』『明と暗』『動と静』という対比。
 これは最後、“川の向こう側”で境界を失って混ざり合い、共に並び立つものとなる。

・“満月”からの連想ゲーム。
 “狼男”はばっさり切られたけれど、“水”は確かにいいなぁと思った。
 満ちるもの。変化するもの。

・「莫迦をやればやるほど、自分に近付く」
 「祭りは意味が無いから好き」
 この遣り取りがある藤田とユキの場面が印象的。
 パリでの乱痴気騒ぎは空虚な泡沫そのもの。
 でもその泡沫は亦、藤田の言う“絵空事”そのものであり、
 それは画家藤田嗣治の本質に強く共鳴するものだったんじゃないかなぁと思う。

・「新しい履物を陽が暮れてから下ろすと、狐に化かされますよ」
 これは確かに祖母に言われた。

・物語は、伝えられていくうちに形を変えてしまう。
 語られ始めた当初はきちんと意味を持ち、何を伝えたかったのかはっきりしていた物語も、
 人から人へと渡る間に平坦になり、当初の意味を失ってしまう。
 骨組みだけになってしまった物語は然し、
 だからこそ凡ゆる人に当て嵌まる形で受け入れられ、また後ろへと伝えられてゆく。
 虚ろな物語は、語る者の想いをどのような形でも内包する。
 決して意味があるからこそ重要なのではない。
 寧ろ『“意味がないこと”に“意味がある”』のだ。

・「田舎に来て、都会にいる時よりもはっきりと音が聞こえる」という藤田。
 「絵を描く人はいいですね」という君代。
 「私はこうして、花を飾るだけです」

・川の向こう岸へと向かう藤田。
 どんどんと周囲の物音が大きくなり、現実と心象風景とが混じり合う形で展開する。
 川の向こう側っていうのがもう鉄板の現場だなぁ。
 アンティークドールと日本人形が並んでいたところが象徴的。
 (感想箇条書きの一番最初で触れたのが、このシーン)

私は藤田嗣治と言えば裸婦像のイメージしかなかったので、
戦争画が出てきた時には吃驚しました。
映画をやってることで書店でも沢山関連書籍が平積みにされていたし、
この機会に他の作品も調べてみたいと思います。

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因みに。
今日は妹と2人で映画に出掛けた訳なのですが。
まずはお昼ご飯食べようー、と梅田エキマルシェの『がんこ寿司』(回転寿司)に行ってきました。
時間も時間(14時頃)だったので店内は空いていて、中の職人さんが結構注意深くお客さんたちの様子を見守ってくれるというなかなかにアットホームな雰囲気だったのです。
で、〆に妹と「うなぎ半分こしよう」って職人さんに注文したら出てきたのが、

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これ。

指先サイズのうなぎ握りをおまけに付けてくれました!
何て可愛いことすんの!?

でも職人さん全然これには触れずにしれっと仕事に戻る。

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可愛すぎるでしょうよ……。笑

店員さん皆さん素敵な方々で、何だか久々に接客でこんなにほっこりさせてもらいました。
また行こう。


シネリーブルのあるスカイビルでは、クリスマスマーケットが開催されてました。

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毎年来てる回転木馬

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今年もあっという間ですね。