1冊では到底語り尽くせぬ『人生に影響を与えた書籍』-前編-
幼い頃から『おはなし』が好きでした。
一緒に暮らしていた祖母に色んな絵本を読み聞かせしてもらうのが好きで。
最後まで読み聞かされると「次これ」「次これ」「さっきのもう1回」ということを繰り返していたそうです。
自分で字が読めるようになってからは、それこそ貪るように読みました。
ぱっと見、淡いクリーム色のページの上に載っているのはただの文字。
記号でしかないそれは少しずつ読み進めていくにつれ、徐々にことばを、そして文章をなして目の前に風景を形作ってくれます。
自分の部屋の中にいながらにして大きな森の小さな家や、銀河を走る鉄道の中、理不尽な不思議の国にまで行くことが出来るのです。
こんな楽しいことがあって良いのか!?と思いました。
今でも、変わらず思います。
今週のお題「人生に影響を与えた1冊」
色んなところで自分の好きな本についていろいろ書いてきましたが、今回は真面目に一番最初から、指の動くままに振り返ってみたいと思います。
とは言うものの、「人生に影響を与えた1冊」として1冊だけを紹介するのは私には到底不可能なので、
前編として「人生に影響を与えた書籍」を。
そして後編に「人生を決定付けた書籍」を。
2本立てとしてご紹介したいと思います。
前編である今回は漫画中心になると思いますので、気楽にどうぞ。
『ドラえもん』
覚えている限りで何よりもまず一番、広範囲に渡って影響を受けているのはやっぱりこれ。
言わずと知れた漫画の金字塔。
アニメなんか最早いつから見ているのか解らない。
『ドラえもん』の素晴らしい点は、
『登場人物全員に色んな顔がある、ということが解りやすい』
ところなんだろうなぁと思います。
“いい人”だけの人はいなくて。
“悪い人”だけの人もいない。
通常盤のテレビアニメではいじめっ子でガキ大将のジャイアンも、映画になると気は優しくて力持ちのヒーローになる。
普段は分別があってのび太を窘める大人な立場のドラえもんも、大嫌いなねずみには容赦なく核爆弾を持ち出したりする。
ヒロインのしずかちゃんも結構勝手だったり冷たかったり、子供心に「あれ??」って思うシーンも沢山ありました。
学校の先生やパパやママだってそう。
小さい時は「ジャイアンとスネ夫は映画版だけやたらいい奴なんだよなぁ」とか思っていましたが、それって現実では寧ろ当たり前のことで。
常に“いい人”も、“悪い人”もいない。
これを考え続けると『そもそも善悪とは何ぞや』という話にまで発展する内容なのですが、幼い私がその辺に思い至るのはまだまだ先の話。
『うしおととら』
妖怪が好きです。
とは言っても私がよく知る妖怪はちゃんちゃんこを着ていたり、罅の入ったお茶碗でお風呂に入ったりする方ではなくて、『うしおととら』に出てくる恐ろしくも美しい“あやかし”達。
幼稚園〜小学校の頃によく遊びに行った従兄妹の家で、置いてあった単行本を何気なく読んだのが出会いでした。
お寺の息子である“蒼月潮”という少年が、自宅の蔵に槍で縫い止められていた妖怪“とら”を解放したことから話は始まります。
THE 王道少年漫画。
もう読み始めたら止まらない。
そしてね、
出てくる妖怪の怖いのなんのって。
シュムナとか未だに夢に見るレベル。
出典:株式会社小学館少年サンデーコミックス 『うしおととら』(8)
ちょっとしたホラー漫画なんかよりずっと怖い。
でも面白いから読みたい。
でも怖い。トイレ行けなくなる。猿が私の皮剥ぎに襲ってきたらどうしよう。
出典:株式会社小学館少年サンデーコミックス 『うしおととら』(7)
でも読みたい。
そんなアンビバレントな感情を少女である私に教えてくれた『うしおととら』。
からくり人形や中国語に興味を持ったのも、この『うしおととら』がきっかけです。
蒼月=ツァンユエ、という響きの綺麗さに、学生の頃はあおつきという筆名で友達と小説書いたりしていました。懐かしい。
今ちょうどアニメもやってますが既に途中なので、是非漫画で最初から一気にどうぞ!
完結した漫画って一気読みできるから良いよね!
『ガラスの仮面』
この流れで持ってきたということに、
完結していない漫画であるということをディスっている意図はありません。
えぇ、全く。これっぽっちも。
THE 王道少年漫画として『うしおととら』を載せたので、
THE 王道少女漫画も載せておこうと。
えぇ、それだけの考えです。勿論。
これまた説明の必要がないほどの有名漫画(いろんな意味で)。
北島マヤという少女が、師である往年の大女優月影千草に導かれて“紅天女”を演じることを目指すストーリー。
この漫画に、何度部屋の掃除を邪魔されたことか。
何度試験勉強の一夜漬けを断念させられたことか。
読み始めると止まらない(2度目)。
だってもーーーどんだけ文句言っても面白いんだもん!!!
私はこの漫画に影響されて中学校の時に演劇部に入りました。
残念ながら私には演劇の才能は全くありませんでしたが、私の舞台好きはここから来ていると思います。
あと色んな戯曲を漫画のストーリーとして少しずつ味わうことが出来るので、子供の頃に『夏の夜の夢』や『嵐が丘』に出会うことができたのは本当に幸運でした。
取っ付きが良いって、案外馬鹿に出来ないことだなぁと今になって思います。
シェイクスピアの『夏の夜の夢』、っていうと何か難しそうだし、下手したら面白くなさそう……と思ってしまいそうですが、
「あぁ、マヤが『ダッタン人の矢よりも速く!』とか言ってたあの話ね!」
となるとちょっとは読んでみようかなという興味が湧きそうな気がします。
知らんけど。
しかし、連載当初のマヤは可愛かったなぁ……。
小顔で華奢で、今の姿とは雲泥の差。
ネタにされることが多い真澄様も、現在の馬面が嘘のような美男子です。
ほんまいつになったら終わるねん、と思ってましたが、
ここまできたらもう思う存分やったらいいと思います。
出たらちゃんと読むから。
『金田一少年の事件簿』
私を本格ミステリの道へと導いた罪深き作品。
元々クイズやら謎解きやらが大好きだった私に友達が単行本を貸してくれまして。
一気にはまりました。
「孤島に閉じ込められて……」
「雪山のロッジに閉じ込められて……」
「中世の古城に閉じ込められて……」
と、どんだけ閉じ込められんねんと大いに突っ込みたいのですはそれは様式美。
手毬唄の歌詞になぞらえた連続殺人!
悪魔が仕掛けた密室の謎!
犯人はこの中にいる!
じっちゃんの名にかけて!
まぁ毎回毎回豪華絢爛な舞台と、嘘やろっていうぐらい大がかりな設定が用意されているのですが、それがまた堪らない。
堂本剛版のドラマもダダハマりして毎週妹と見ていました。
これまた未だにトラウマあるぐらい怖い。
“放課後の魔術師”とか漫画版は勿論、ドラマ版でも怖かった。
でもあの頃のが一番面白かったなぁ。音楽も格好良かった。
ちなみに漫画版で一番怖かったシーンがこちら。
金田一少年の事件簿は放課後の魔術師やらオペラ座館殺人やらトラウマになるような怪人が多くて、天才犯罪者でライバル役?の高遠遙一がいまいち印象薄いんよね。 pic.twitter.com/s787R43q7P
— munepao (@munepao) 2014, 9月 21
寝る時に窓の方見られなくなったのはこのシーンの所為。
ぜったいにゆるさない。
ある時
「私金田一好きやねん」
と、友達に言ったら、
「異人館村殺人事件は島田荘司の『占星術殺人事件』のパクリやし、1回本物読んでみ」
と、島田荘司の『占星術殺人事件』を貸してもらったのが本格ミステリファンへの始まり。
これについてはまた次の記事にでも。
『魔法騎士レイアース』
“いい人” と “悪い人”
“世界を救うヒーローヒロイン” と “世界を壊そうとする悪者”
その立場は、
自分の視点によって容易く入れ替わってしまう。
それを私に教えてくれたのが、CLAMPの作品。
小学校の時、りぼん派となかよし派に分かれてた、という話は私の年代ではよく聞くあるある話ですが、私はこの『魔法騎士レイアース』が始まった瞬間に、長年お世話になったりぼんからあっさりとなかよしに鞍替えをしました。
ちょっと毛色の違うキャラクターデザインと、圧倒的な画力に一瞬で心奪われました。
最終回を読み終えた後の呆然とした感覚は、未だに忘れられません。
自分の信じていたストーリーが、物語の世界の中ではたったひとつの視点でしかなかったということ。
主人公たちの信じていたものが“正しいこと”ではなく、物語の最後が主人公に感情移入している読者にとって“ハッピーエンド”ではないまま終わる漫画があるということ。
それを知ってからはしばらく、その考えに取り憑かれたようにCLAMPの作品ばかりを読みました。
当時、既に完結していた『東京BABYLON』
まだ連載中だった『聖伝 -RG VEDA-』
絵の美しさに惹かれたのは勿論ですが、
やはり当時の私を駆り立てたのは“不安”だったのだと思います。
何の疑いも抱かず善と悪の二元論を信じていた今まで。
でも、世界はそんなにも単純で、簡単なものではなかった。
私が“よい”と思っていたものは、他の人には“わるい”ものかもしれない。
私が“いい人”と思っていた人は、他の人には“わるい人”なのかもしれない。
そんな、物心ついてから今までずっと立っていた足場が、
立っているまさにその場所の真ん中から崩れていくような感覚を何度でも味わって。
新しく直面した世界の仕組みを思い知って、
そうして受け入れたかったのかもしれません。
事実はいつもひとつである。
けれど、真実はいつもひとつではない。
そんなことを教えてくれた作品たち。
「人生に影響を与えた1冊」という意味では、まさに外すことの出来ない作品です。
『少女革命ウテナ』
“私”というものを語る上で、絶対に外すことの出来ない要素。
それがこの作品。
『少女革命ウテナ』
幼い頃、王子様に助けてもらったことをきっかけに、「守られるお姫様」ではなく「誰かを守る王子様」になることを目指す男装の少女、天上ウテナ。
同じクラスで風変わりな少女、姫宮アンシーがとある男子生徒から暴力を受けているのを目撃し、彼女を守ろうとすることから物語は始まります。
“薔薇の花嫁”
“エンゲージ”
“決闘”
“ディオスの力”
登場人物から飛び出す言葉は勿論のこと、決闘広場への螺旋階段や建物の構造というものを無視した決闘広場、その上空に浮かぶシャンデリアのような逆さまの城。
おまけに毎回決闘の前に挿入される“影絵少女”の暗喩的な小噺や、決闘シーンで流れる最早比喩の対象が見つからないほどに独創的な合唱曲。
……とまぁ、軽く挙げただけで第1話にこれだけ訳の解らない要素が盛り込まれています。
そしてこれがラストに向けて解説されてゆくどころか、加速度的に質量を増やしていく始末。
「……なんじゃこりゃああああぁぁぁ!?!?!?」
と、友達と一緒に半ば面白がって見始めたこの作品が、最終的にこれほどまでに私に影響を与えるものになろうとは、当時は思ってもいませんでした。
ウテナのことを話し始めるととてもじゃないですが終わらなくなりますので、こちらも詳しい話はまた後日に改めることとして。
寺山修司やJ.A.シーザー、天井桟敷という劇団についてきちんと知ったのはこの時でしたし、記号や暗喩、おとぎ話の持つ役割なんかについて興味を持つことになったのもこの作品がきっかけになっています。
この後、監督である幾原邦彦氏が12年振りに手がけた作品、『輪るピングドラム』もそれは素晴らしいものでした。
Blu-ray BOX欲しい。
まとめ的なもの
人生への影響度合いで比重が大きいのは、私の場合漫画やアニメが中心でした。
小さな頃から漫画と同じくらい小説も好きでよく読んでいたのですが、漫画が面白くて小説が退屈だった訳ではなく、たまたま一番最初に出会った『既存の価値観を直撃するようなインパクトのある作品』というのが私の場合は漫画だった、というだけのことなのだと思います。
連休最終日に存分に時間をかけて書いたこの記事。
はてなブログを書いている人の中で、このテーマで記事を書くことを誰よりも堪能したのは私ではないかとすら思います。
それぐらい書いてて楽しかった!
いやー、楽しかった。
明日、後編記事を書いたら他の方々のテーマ記事拝見しに行こうと考えているので、それもまた楽しみです。
それではまた明日!