ひとさじの砂糖とうたかたの日々の泡

一匙の砂糖に似たささやかな幸せや、 取るに足らない日々の泡の記録。

僕のためのゲンセキ // 『幻石』

2017年夏に開催された“尼崎文学だらけ〜夏祭り〜”にて購入させて頂いた、ひざのうら はやお氏(@hizanourahayao)の「幻石」。
実在しない鉱石についての短編が4編、収録されています。

ちなみにひざのうら氏はご自身のブログにて、実に読み応えのある同人誌レビューも書いておられますので、そちらも大変お勧めです。

houhounoteiyudetaro.hatenablog.com

では、以下に徒然なる感想をば。

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◎「幻石」

 鉱石カフェなるものがある。
 その名の通り、鉱石をモチーフとしたドリンクやスイーツを取り扱っているのだが、ひとめ見ただけでは本物の鉱石と見分けがつかないほど精巧に作り込まれたものもある。鉱物の持つうつくしさや神秘性をよくここまで表現できるものだなと感動した。

 鉱石に魅せられる人は多い。
 それにはひとりひとり、様々な理由があるだろう。見た目の美しさは勿論、装飾品としての価値を求める人もいれば、石が持つと言われている力(パワー)にあやかりたい人もいる。
 だが私の周囲に最も多いのは、鉱石というものの持つ『物語』を求める人だと思う。
 その石が、自分の手元に辿り着くまでのストーリィを想像する。どれほど長い時間を凝り固めて生まれたものなのか。幾夜の雨に洗われたのだろう。頭上ではどんな音が聞こえていたのだろうか。地層の奥深くで見る夢は、何色で描かれるのか——。
 かく言う私も、そのひとりである。

 ひざのうら はやお氏の「幻石」は、存在しない架空の鉱石をモチーフにして書かれた短編集である。
 表紙には標本箱にしまわれた“空石 -スカイストーン- ” “血石 -ヘマダイト- ” “虎翳石 -トラコナイト- ” “霊石 -イオピリアス- ”の4種類の鉱石が描かれ、扉を捲るとそれぞれの石の説明の後に「At The SEVENTH Heaven」「死闘! 四本腕の男!」「まだらな二人」「霊石イオピリアスについて」という4種類の物語が収められている。
 この4種類の物語はそれぞれが独立した世界の物語であり、趣も全く違う。ひとりの作者がこれだけ違う色の物語を扱えることに尊敬の念を抱きつつ、ここではひとつの物語についての感想を述べたい。

◎「At The SEVENTH Heaven

『それは、僕が僕だけでなく、彼すらも背負わなくてはならない現実と同値であることに気づいたのは、彼の職から見えるこの世界の景色を見てからだった』(p.14,l.7-8)

 地球の重力に逆らい、物体を空中に浮かせるという性質を持った「空石」が発見されたことにより、天球(ヘヴン)と呼ばれる人類の新たな居住区が誕生した。舞台はそんな天球のひとつ、第七天(セヴンス)——人間そのものをも“資源”と見做し、徹底的に管理されている所謂ディストピアだ。

 なぜそんなにも徹底した“資源”管理が行われているのか。
 天球は空石で空中に浮かんでいるが、空石にはもうひとつ大きな特徴があった。
 空石は、徐々に空に溶けていくのだ。
 その為、各天球には空石の自動生産システムがある。だが人口が増えれば増えただけ、天球は重くなる。天球を支えるのに必要な空石の生産スピードと、融解するスピードとの均衡が取れなくなり、やがて地球に墜落してしまう。第六天(シックス)のように。

 主人公の“僕”は、墜落してゆく第六天から第七天に避難してきた。
 市民ひとりひとりにまで識別用の生体認証チップが埋め込まれた、高度に管理が行き届いた世界で“僕”はダンという名の保安課職員に出会う。ダンは生体認証チップとともに自らの存在を“僕”に譲った後、自害した。
 その時から“僕”は“僕”だけでなく、ダンの荷物までも背負って生きることとなった。


 ひとはひとつの身体に、どれだけの荷物を背負って生きることが出来るのだろう。
 自分ひとりぶんを抱えて歩くのが、やっとだろうか。否、それすらも危ういかもしれない。
 ひとは、色んなものを拾い、集め、抱えてしまう。
 収納用品を買っても買っても収まらない。クローゼットにはもう二度と着ない服が折り重なり、本棚からは本が溢れる。
 でも捨てられない。
 大切だから。勿体無いから。もう二度と手に入らないから。

 想いだって、同じだ。
 忘れたいことがある。手放してしまいたい想いがある。なのに、捨てられない。
 愛情や友情、義務感や責任感故に。
 そうして矢張り、背負ってしまうのだ。旅立った家族の、友人の、仲間の、恋人の荷物を。
 その結果、いつか自分が墜落してしまうかもしれなくても。

 管理しきれないものを抱えたまま墜落する天球はきっと、私たち自身の姿だ。


 だが、私はこの物語の中に希望を見た。
 地球と同じ姿を求めた結果墜落した第六天にでも、徹底的に管理され尽くした第七天にでもない。
 既に3人分の荷物を背負って尚、墜落しない“僕”の姿に、だ。
 彼は第七天で生き続ける術を模索し始める。
 それは彼が、彼自身のために見出した、空石の生産方法にほかならない。
 市街圏の外に広がる鬱蒼と茂る森。巨大な自然。第七天の殆どの市民が知らないそれを、ひとりでも多くの人々に知ってもらいたいという想いこそが彼を浮かび上がらせ続ける。

 きっとこれから先、彼はまだまだ荷物を背負い続けるのだろう。
 戸惑いながら。迷いながら。立ち止まりながら。
 それでも、背負うことをきっと辞めはしない。
 背負った荷物ゆえに自らが浮かび続けていられることを知るから。

 背負った荷物、それこそが——彼の空石の原石なのだ。