ひとさじの砂糖とうたかたの日々の泡

一匙の砂糖に似たささやかな幸せや、 取るに足らない日々の泡の記録。

巡る季節と家族の記憶 // 『その船』

“尼崎文学だらけ 〜夏祭り〜”にてお隣だった、“詩架”(@xsiicax) 容さんの作品。
ある家族と、家族に寄り添う船の物語。
とてもやさしく、凪いだ海のような穏やかな物語でした。

f:id:scfedxxxx:20170924120733j:image

◎その船

『彼女の躰は硬く厚い。月の光を鈍く反射する鋼の胴は、太陽のもとでまだまだ白く輝くけれど、目を凝らせば細かな傷に覆われている。父と共に広い海を渡り津々浦々に停泊した、その夜の数だけ。』(p.4,l.14-p.5,l.1)

 “その船”は人の言葉を理解し、自らの言葉を語る。

 主人公の“僕”は父と共に旅の空に育ち、母の顔も名も知らない。
 書物以外との会話に飢えていた、というから父との関係はあまり良くなかったのだろう。だから話し相手は専ら“その船”だったのだと思う。

 世界を股にかける商人であった父は既に隠居し、彼女(船)もまた父と共にその身をひとところに落ち着けた。
 父の後を継ぎ若旦那となった“僕”は年に一度、彼女がいる島で行われる夏の市の折に彼女を訪ね、土産話を披露するのが常となっている。

 夏、秋、そして冬。
 巡る季節を舞台に、“僕”が“その船”に語って聞かせる物語もまた巡ってゆく。
 それは“僕”だけの物語ではなく、“その船”の物語、そして“父”の物語へと巡る——。
 

 一見シンプルな装丁は、手に取ってみればその上質さに気付く。
 作品自体もまたシンプルなストーリィラインでありながら、実に丁寧に丁寧に紡がれた物語だった。
 人魚の残した鱗。
 白蝶貝の耳飾り。
 眩く輝く白に染まる北の帝国。
 春を迎える人々の笑顔。
 そして——。
 流れるようにさらさらと読みきれてしまうのに、脳裏には“僕”が語った物語が瞬く燐光と共にいつまでも残り続ける。
 
 主人公は“僕”であった筈なのに、いつの間にか“その船”に感情移入し、“彼”の物語を心待ちにしている自分がいた。

 一度やさしく閉じられた物語はしかし、また新しく巡りゆくのだろう。

 人魚の尾の煌めきを夏に見。
 逝く夏を惜しむ先に秋と出会い。
 雪に覆い尽くされる厳しい冬を経たからこそ、
 あたたかな春を喜び迎えることができる。

 その軌跡こそが、あらたな家族の記憶となってゆくのだから。